「厩舎火災で競走馬死亡」のニュース記事を見て思うこと

自分は競馬が好きでよく見に行ったりしているのですが、そんな競馬関連で痛ましい事故が起こりました。

厩舎火災:2棟全焼し競走馬9頭が焼け死ぬ 千葉・船橋−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

厩舎で火事があり、13頭の馬のうち9頭が火事によりなくなったそうです。火事で競走馬死亡というと、どうしてもエガオヲミセテが火事でなくなったときのことを思い出してしまいますね。

しかし、このニュース記事が問題なのは、最後のところです。

県警船橋署などによると、現場は競馬場南側の78棟ある厩舎群の一画。死んだ競走馬はいずれも特に成績が優秀ではないという。

この部分を読んで愕然とすると共に、怒りがこみ上げてきました。たしかに、競馬の世界はシビアであり、成績が経済的なものを何もかもを左右する厳しいものですし、成績のふるわない馬が、馬刺用などにされてしまうされてしまう現実も、長く競馬ファンやっているので分かっています。分かって入るんですけど、この言い方はあんまりじゃないですか。
成績が優秀じゃなかったら、あんまり問題ではないないというような言い方。経済的には層かもしれませんが、馬の命は馬の命として同じでしょうに。何か、THE YELLOW MONKEYのJAMと言う曲の歌詞にある、下記のフレーズを思い出してしまいました。

外国で飛行機が 落ちました
ニュースキャスターは、うれしそうに
「乗客に日本人は いませんでした」「いませんでした」「いませんでした」…

これと同じですよね。自分たちに関係があるのか、経済的な影響はどうかというだけでニュースを簡略化されてしまい、影響が小さいならそのほかの命など関係ないといった感じ。なんか、非常に違和感を感じる部分です。

特に自分は、競馬ファンと言ってもギャンブル自体にはあまり興味がなく、馬なり1ハロン劇場など、競馬の持つドラマ性や馬の個性と言った部分を楽しんでいるタイプのファンで、馬自身に対する愛着も高いです。それだけに、今回のニュースで補足されている上記一文には本当に傷つきました。わざわざ付け足しているところが、この記事を書いた記者の「成績の悪い馬の命なんてたいしたことがない」という意識の現れですからね。実際に世の中的にはそうだとしても、競馬ファンからしてみたら「わざわざ言うなよ…」と言う感じ。

競馬自体、動物の生死を金儲けに使っているわけですし、動物の生死自体、日常的に肉を食べていることなどから自分たち一般人でも非常に近いところにある存在で、いろいろと難しいところがあるのは確かです。最近では、直木賞作家が自らのポリシーで子猫を殺していることを告白し、ずいぶんと物議を醸し出してもいます。

鬼畜子猫殺し坂東眞砂子 - ニュー速用まとめ wiki

この手の問題には、倫理的、感情的、経済的、論理的とさまざまな面での見方があり、本当に議論し出すと、おそらく収拾はつかないのだとは思います。ただ、今回の厩舎火事の件は、そうした直接関係のないものの命の価値というものについて考える、一つのきっかけになるような気がしますね。