米カリフォルニアのゲーム規制法が最高裁で違憲判断

グラフィックのクオリティが大幅に向上したゲームに付いて回るのが、エログロ関連の表現問題。日本はエロ・ロリには世界的に見ても相当寛容な反面、グロ表現にはCEROの審査を通じて非常に厳しい規制がなされます。一方、海外ではグロ表現が多数ゲームに登場するのですが、こちらはこちらでゲーム業界での自主レーティングはなされており、最高ランクのMになると売れる場所が限られて大きく売上に影響が出てしまう、という話を聞いたことがあります。

そんな中、そうした業界の自主規制を飛び越え、アメリカのカリフォルニアでは州法でゲームの規制を行うものが過去に成立していました。これに対して、ゲーム業界が反発して訴訟問題となっていたようですが、これについて最高裁の判決が出た模様です。

米国の暴力的ゲーム規制法に最高裁が違憲判断、表現の自由を侵害

地裁でも違憲の判断がなされていたようですが、最高裁でも同様に違憲との判断が下ったようです。その判断として、グリム童話などの書籍でもグロテスクな表現があることを指摘し、それらと同様に表現の自由憲法で保証されている、というものとなっています。

自分は、ゲームの表現に関する業界の自主規制については必要だと思っています。ただでさえ、世間から冷たい目で見られているゲームで、規制もお構いなしに好き勝手ふるまっては印象が悪くなるばかりですからね。ですので、業界の立場にありながらモンスターハンターCERO評価を形骸化するかの如くコメントしていたファミ通の浜村氏には呆れたものです。このあたりの事は5年ほど前にも自分の考えを述べたことが有ります。

ゲイムマンのブログ:砧公園秘密基地: ゲイムマンが世田谷のゲーム脳講演会に行ってきた (ITmedia +D Blog) - わぱのつれづれ日記

とはいえ、ドラマや映画ではさほど規制されないのに、ゲームばかりが槍玉にあがるのはゲームファンとして納得いかなかったところがあるのも事実。そういった意味で、この判決で他のコンテンツと同列に見て判断がされたのはうれしいですね。

この件は、あくまで州法で規制するのが違憲となっただけ。社会的にグロ表現が認められたということでもなく、むしろ「親が判断すること」となっているわけです。そういった意味では、日本でもそうした判断基準を明確にした上で、洋ゲーの特徴をスポイルをしないような認証、規制ができるようになっていくといいな、とは思いますね。最近だと、以下の記事で三上氏がCEROの審査が、レーティングの割に厳しすぎるというようなコメントを出していました。

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これも、ただCEROを形骸化してしまっては、ゲーム外からの反発を招くだけです。かといって、事なかれ主義では表現の幅が狭まってしまう。やはり今回の判決のように、「ゲームを映画やドラマと同列レベルに意識してもらえるまで地位を高めること」がまず必要ではないでしょうか?クリエイターが好きなモノを作りたいだけ、ではダメだと思います。まずは社会に受け入れられるような取り組みを、ファーストだけに頼るのでなくサード・クリエーターも意識して仕事をして欲しいものですね。