アトラスを退社?!〜「世界樹の迷宮」ディレクター新納一哉氏ついて

快進撃を続け、あらゆる常識が通じないほど売れているニンテンドーDS。一方、ライトユーザーに受けるソフトが多く、ゲーマー受けするゲームが少ないという評価を受けることも未だに起こっています。

そんなDSでも、自分が絶賛している応援団など、ゲーマーに高く評価されているソフトもあるのですが、その中でカドゥケウス世界樹の迷宮と連続で高評価のソフトを作っていたのが、アトラスの新納一哉(にいのうかずや)氏です。具体的なプロフィールは以下のWikiを参照ください。

世界樹の迷宮Wiki - 製作スタッフ

様々なメディアで非常に的を射た発言をされており、自分は非常に注目していたクリエーターだったのですが、このたびゲーマーホリックさんの以下の記事を見て衝撃の情報が目に飛び込んできました。

■『世界中の迷宮』ディレクターの新納 一哉氏、アトラスを正式に退社 (mixi)

http://gameaholic.blog34.fc2.com/blog-entry-2992.html

どうやら、mixiで本人がアトラスを退社されたことを報告されたそうです。mixiの記事は2chでスナップショットが上げられていたので確認したのですが、どうやら「会社との価値観の相違」と言うことのようですね。


これはかなりショックな出来事ですね。アトラスにこれまで特に強い思い入れの無かった自分としては、世界樹の迷宮の出来と新納氏の存在を受けて、今後アトラスに対する見方を変えようとしていたところだっただけに、衝撃的な展開です。

特に新納氏については、様々なインタビューが掲載されており、その内容が非常に読み応えがある、ニヤリとさせられるものが多かったため、自分もいつかエントリとして新納氏に対する自分の考え、印象などを書こうと思っていたところでした。

思わぬ事がきっかけとなってしまいましたが、以下で新納氏の過去のインタビュー記事を振り返りながら、自分の持つ印象、感想などを述べてみたいと思います。
(※なお、新納氏の退社についてはアトラスから正式に公表されているものではありません。ですので、実際に退社しているのかどうかの明確な確証はありません。本記事ではとりあえず退社されたという前提で記述していますが、もし事実誤認があれば後ほど対応します。以下の紹介は主に、新納氏というクリエーターに対する自分の分析が主眼となります。)

様々なネットメディアを活用する新納氏

新納氏は非常にネット関係の流行、消費者の声に対して敏感な人で、世界樹の迷宮発売までにも積極的に多くの発言を行って来ました。まず自分の琴線に触れたインタビューが、以下のファミ通インタビューですね。

『世界樹の迷宮』のディレクター新納一哉氏にインタビュー! / ファミ通.com

上記のインタビューについて、自分の熱い思いを語ったエントリが以下のものになります。

わぱのつれづれ日記 - ここまでこだわればアリ?!「世界樹の迷宮」


その他、任天堂ファンにはおなじみのNintendo insideさんのところでも、かなり密なインタビューが展開されていました。
『世界樹の迷宮』ディレクター 新納一哉氏ロングインタビュー【第一回】 - Nintendo iNSIDE
商業ベースでないところに制作側からこれだけ積極的に情報を出して広告展開することは、なかなか珍しいことのに思います。


また、最近では電撃オンラインで、ゲーム内容の細かいところにもつっこんだインタビューを展開しています。

電撃オンライン:インタビュー『世界樹の迷宮』

こちらの記事では、発売後に掲載された内容なだけに、消費者も感じているいい点、悪い点などについて、詳しく自らの判断の背景、理由などを詳しく紹介されています。ところどころ、反響を受けて次につなげたい、というところもありますね。


他にも、公式HPでもいろいろ凝ったことをされています。最初の頃は様々なギミックをしかけたページを作り、酒場では夜と朝で出てくるキャラが違ったり、Podcastで音声による情報配信を行っていました。

= 世界樹の迷宮 =(旧コンテンツ)

また、リニューアル後はブログ形式。こちらでも、積極的に情報を公開したりしており、とにかくWeb2.0と呼ばれるネットの流行をいろいろ取り入れて広告戦略をしていた感じです。

= 世界樹の迷宮 =

全般的に、手作り感の感じられるコンテンツですね。労力はかかっているけど、その分コストは抑えられている印象です。世界樹の迷宮という、ニッチでチャレンジングと思われる新作のため、相当な低予算の中情熱を持って情報発信されていたことがうかがい知れます。

岩田社長と通じる「理論的アプローチ」

自分が新納氏のインタビューなどを見ていて感じたのは、「よく分析を行っていること」、そしてその上で「+αの要素を考えて提案していること」です。既存のRPGが徐々に売り上げを落としているのは何か、ファンから批判されているのはどういう点か。その1つ1つについて、「どういった層が文句を言っているのか」というところまで踏み込んで分析されています。そして、それをふまえて「新しい3DRPGの提案」という自らのビジョンを定めて提案しているんですよね。

そもそも、ユーザーの声というものは基本的には無責任な批判であることが多く、まともに全部聞いているとその罵詈雑言、遠慮無い意見にクリエーターとしては耐えきれなくなることもあるでしょう。また、経済的な観点を無視した意見であったり、ニッチな層の意見だったりすることも多く、過去にも2chなどの意見に素直に従って失敗した例を多く見たことはあります。他にも最終的にそうしたユーザー自体と意見対立などをして喧嘩してしまい、味方だったはずの消費者が逆に的に回ってしまうケースもありますよね。

しかし、だからといって消費者の声を全く調査しないで製品開発するわけにも行かないでしょう。消費者のニーズ、要望などを把握しながらも、他の企業との差別化を図れる、ならではの商品を企画・制作する、そうした手腕が必要になるのだと思います。


こうした「分析」、そしてそれをふまえた「提案」を非常に優れたバランスでできているのが、任天堂の岩田社長のように思います。岩田氏自身、ファミコンのゴルフやMOTHER2を作るなど優秀なプログラマーだった訳で、ゲームのことを非常によく理解されています。その上で、縮小を続けていたゲーム業界を冷静に分析し、何が受け入れられて、何が受け入れられていないかを客観的に把握し、そして「新規の客層を拡大」という至上命題の元、「驚きを与えられること」に情熱を注いでDSや脳トレWiiやWiiSportsなどを世に送り出してきた訳です。

もちろん、全てについて岩田社長が手を動かした訳ではありませんが、任天堂社長として、非常に苦境に立たされていた状態から見事復活を果たした手腕は見事というしかなく、最近では各種ビジネス雑誌、記事などでも取り扱われていますよね。先日発売されたプレジデントでも「岩田社長が語る「Wii誕生の目のつけ所」」という記事が掲載されているようですし。

2007年3.5号 目次 - PRESIDENT Online


新納の場合も、岩田社長と全くの同列に並べるのは大げさかもしれませんが、思考的には似たようなアプローチを取られているように感じました。現状を分析した上で、ただ単に消費者の言うがままの商品を出すのではなく、ビジョンとポリシーを持って商品を打ち出す、という視点です。

例えば、キャラデザにウィザードリィのような路線を選ばなかったこと、スキル割り振りをやめたことなど、いくつかマニアから批判を受けている内容はあるのですが、これもマニアへの欲求をどこまで満たすのかと、マニア以外のゲーマーへの受け口をどう広げるかのバランスからの選択で、そこに十分思慮を重ねた上での判断だと発言されています。このように、ユーザーの要望を受け入れるところ、クリエーター側が提案するところをはっきりと自覚して把握した上でジャッジをしている点が、岩田社長のアプローチと似ている感じなんですよね。WiiSportsや脳トレの中でも、あきらかにゲーマーからは不満が上がりそうな要素についても、物事のプライオリティをつけて総合的に判断しての結果なわけですから。そのあたりの論理的思考がしっかりできている印象がします。

ただ、違うのは岩田社長が「新規顧客の拡大」という方向に向いていたのに対して、新納氏の場合は「既存ゲーマー層のくみ上げ」を重視していることでしょうか。岩田社長のアプローチは、どうしても新規顧客を第一にしているため、ゲーマーから見ると置いてけぼり感を感じるときがありますが、新納氏の場合は逆に岩田氏のようなアプローチをゲーマーに向けることで、DS所有ゲーマーの心をうまくつかんだ印象がします。DSのアプローチの中で欠けているところをうまく埋める、いい関係だったように思います。

重要な「ビジョンの発信能力」

新納氏はまた、岩田氏同様「自らの考えを広く世間に発信する」という事にも長けた人だと思います。脳トレなどの岩田社長の判断も、ただその判断結果だけを見てしまうとゲーマーの置いてけぼり感が高まってしまったでしょう。しかし、岩田社長が度々講演などで、自らの目指す方向性、そのビジョン、重要性を語ることで、ゲーマーの中でもその思想に共感し、それを受け入れるユーザが多数現れました。このように、今までと違う方向性の判断を下し、それで勝負しようとするのであれば、それを理解してもらおうとする努力が不可欠な訳です。そのために、こうして自分の考えをぶれずに、はっきりと、論理的に述べることができるというのは、経営者として非常に重要な才能だと思います。

新納氏の場合も、最初のファミ通インタビューを初めとして、この「ビジョンの発信」が非常にうまくいった例だと思います。世界樹の迷宮も、ただ何気なく出しただけでは、ジャンルは3DRPGというだけで一般ゲーマーに受け入れられず、かといってウィザードリィファンの間ではキャラ絵がオタク向けすぎるというだけで受け入れられなかったでしょう。こうした、一見で判断するユーザに対して、新納氏のインタビューや活動は非常に有効に機能したように思います。もちろん、全てがうまく行っているとは言いませんが、最初キャラ絵に強い拒否感を持っていた人でも、最終的に受け入れてセカキューを楽しんでいる方もいますし、3DRPG初挑戦というゲーマーもインタビューなどを見て面白そうだと感じ、実際楽しんでいる方も多く見かけますので。

周りの環境と立場の違い

惜しむらくは新納氏と岩田氏の立場の違いでしょうか。岩田氏の場合、年齢は若いながらも社長という立場であり、複数いる取締役との議論の元、自らの考えを元に会社を動かすことができます。また、任天堂自身据置ゲーム機ではSCEに圧倒的に負けている状態で、大きな改革を起こすことが求められていたという背景もあります。

一方、新納氏の場合は、DSでの市場開拓という背景があるのは同じですが、あくまでアトラスの中でも1人のディレクターに過ぎません。世界樹の迷宮についても、ROM容量が相当少ない、人員も少ない、宣伝活動も低コストで実施と、かなり会社から制限された形で開発されています。これは、ファミ通インタビューを見たときに懸念した通りです。自分も最初は相当ニッチだと思いましたしね。
もし、新納氏がもっと上の立場の人間であればもう少し予算を動かすこともできたかもしれませんが、普通の経営者だったら及び腰になるのも、分からない話ではありません。(逆に言えば、そんなチャレンジングな方策を、トップ自らが打って出ることができる任天堂というのは相当なところな訳ですけどね。まあ、「イノベーション」と連呼して無茶なチャレンジをすればいいと言うものでもありませんが。)

しかし、その中でもかなり新納氏はかなり頑張られていたと思います。上記に上げたインタビュー記事、Podcast、ユーザーサイトとの連動など、どれも人力はかかるもののコスト計算では安く仕上がるものです。こうしたメディアを使ってうまくセカキュー知名度を高めていった手腕は優れていたように思います。


ただ、結局セカキューの場合は、問屋、販売店へのアピールがうまくいかなかったのか、初回受注がニーズを大幅に下回る、という事態になってしまいました。
世界樹の迷宮Blog » 「世界樹の迷宮」出荷状況について

このあたりの出来事は、以下のブログに過去に掲載されていました。

世界樹の迷宮を軽く遊んでみた。【一部ネタバレ含む】|おはら汁(緊急避難場所)

相当やばい内容だったらしく、上記記事で注釈されているよう今では削除されていますが、深夜アニメのゲーム宣伝の意味とか、ゲーム問屋の保守っぷりなど、いろいろ興味深い内容が書かれていました。ゲーム業界の構造として、問屋やゲームショップも含めてまだまだ意識変革が必要なんだな、と感じさせれられた記事でしたね。

世界樹の迷宮の場合、こうした機会損失がどの程度影響するのか、気になるところではあります。個人的には初週4万でも頑張った方だとは思いましたが、機会損失さえなければ初回でもっと裁けていたことは確実だっただけに、残念なところはあります。ぜひとも、口コミで継続的に売れて欲しいところですけどね。
もっとも、新納氏の退社で続編の期待がかなりしぼんでしまったことはたしかですが…。それでも、過去のRPGの要素を抽出し、現代風にアレンジした新しい世界として、今後も継続していって欲しい方向性だと思います。

新天地での新納氏の活躍に期待

今回の新納氏の退社に、会社との軋轢や、厳しい環境などがどの程度影響しているか、詳細はよく分かりません。ただ、今回述べたように、現状の理論的な分析が出来、問題点を明確化し、世の中のニーズから大きくはずれることなく、さらに自らの考えも発言して提案していけるクリエーターというのは、ゲーム業界でそれほどいないと思われます。ゲーム業界で独立してもあまりうまくいった例がないだけに、新納氏の今後については心配が残るところです。
新納氏には、退社後もそうしたごたごたで埋もれてしまうのではなく、無事世間に出てきて新たな作品を出して欲しいと思います。また、アトラスもアトラスで、新納氏が巻いた種を安易にお金稼ぎの道具として考え、使い尽くすのではなく、大切にはぐくんでいって欲しいものです。