「あるある捏造問題」がゲームに与える影響について

企業のコンプライアンスが非常に厳しく問われる世の中、不二家といいパロマといい激しい世間&マスコミからの糾弾が行われています。そんな中、これまで先頭に立って糾弾していたマスコミ側でも、大きな問題が生じました。それが、「あるある大辞典捏造問題」です。

糾弾する側から糾弾される側に立たされたマスコミ

「あるある」問題は、レベルとしては正直これまでいろいろな企業が犯してきた過ちよりも、さらにひどいものです。ミスや欠陥というレベルではなく、明らかに捏造。しかも、影響を与える人も何万人、何十万人という規模であり、さらに納豆業界など、その情報に振りまわされていた側にも影響が出ています。

企業の不祥事は生き死にに関わることがあり、松下やパロマなどはまさにそれで糾弾されていたわけですが、この「あるある」も健康の話題が中心だっただけに、十分消費者の健康に問題を与えていた可能性があります。番組の情報を信じて極端な偏食をしてしまい、かえって悪影響が出ていた人もいそうですからね。なまじ影響力の強い番組だっただけに、捏造による潜在的被害は計り知れない物があります。


そして、これに対してのテレビ側の反応も問題になってますね。日頃企業の不祥事は嬉々としてたたき、絶えず役員に辞任を迫るわりに、これだけの不祥事の割には関西テレビの処分は減給のみ。そりゃ、消費者から見てもお寒いですよね。

さすがにそうした空気を感じてか、読売新聞社説では厳しい論調を述べています。

2月4日付・読売社説(2) : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

でも、上記の社説もこれも他人だからこそ厳しく言う、という感じにも見えます。「おまえらのせいで政治に口出しされる口実になる」と文句を言っている感じですし。結局、ネットなどが普及した現在、一番強いのは消費者という感じですよね。マスコミも、いつまでも消費者を自由にコントロールできるとは考えない方がいいでしょう。(もっとも、消費者は消費者で、感情的に突っ走ってしまうのは危険ですけどね。有能な煽動者とかに悪用されませんし。)

捏造問題が「健康ブーム」に与える影響

閑話休題。「あるある大辞典」は、現在の健康ブームにおける火付け役的存在で、その影響力も、前項スーパーの売り上げをがらっと変えてしまうほどのものを持つ、強力な情報媒体でした。今回、そうした根底にあった「あるある」の信頼性が崩れてしまったことで、今後どの程度健康ブーム、それ以外にも「決定的な論理に基づかない製品」について影響が出るか、非常に気になるところがあります。

昔から、数々のダイエット法、健康法などは提案されており、うさんくさい物も多いのは変わっていないのですが、その中でもかなり信じられていた「あるある」が崩れてしまった今、健康などを気遣う消費者は結構とまどっているのではないかと想像します。「一体、何を信じればいいのか」と。

このため、健康関連のメーカーは、今まで以上に高い情報量、理論武装が必要になるわけで、これまで「なんとなく効きそう」という雰囲気作りでやってきた会社は結構厳しい状態になるかもしれませんね。

「ゲームらしくないゲーム」に対する影響は?

そして、個人的にもっとも気になるのは、DSやWiiでも多く出ている、いわゆる「ゲームらしくないゲーム」に対する影響です。脳トレなどの知育系ゲームもその一つですが、今回の件に対して、特にそのものずばり当てはまるのが、Wiiで繰り返し宮本氏が予告している「ヘルスパック」です。

「あるある」がこれだけ叩かれている中、「ヘルスパック」も相当な論理的根拠などが求められてくるかもしれません。「本当に健康になるのか?」「やせるのか?」と。脳トレの脳年齢みたいに、比較的少ないサンプル数の統計データから定めた、大体の数字なんかでは、正直バッシングされてしまう可能性もありますよね。
そして自分としては、Wiiみたいな手で握るリモコンだけで、そこまで理論武装できるソフトを作れるのかどうか、正直心配なところはあります。宮本氏ならいくらでも「楽しい」ソフトは作れるのでしょうけど、そこに対して「精度」を消費者から求められると、果たしてどの程度まで応えられるのか、未知数ですので。


脳トレでも、「脳トレだけやっていれば大丈夫」というものではなく、それについて警鐘をならしている人もいます。

(43)一人で「脳トレ」は逆効果 : 介護の心 : 介護・老後 : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

上記の話も、ちょっと考えれば「そりゃそうだ」と思う、当たり前の話しかしていないのですが、「あるある」の放送を全て鵜呑みし、放送翌日にスーパーに群がったり、言われたとおりに偏食したりする人が大勢いることを考えると、そうした「ちょっと考えれば分かること」を前提として商売することは、今のご時世では危険性がある感じです。Wiiのストラップも、そうですしね。

脳トレとかで「なんか脳みそ鍛えている感じがする」という雰囲気を楽しむ、WiiSportsで「運動している気になる」というレベルで楽しむ、ということはよく行われているとは思うのですが、こうしたところにまで科学的根拠をがちがちに求められると、結構厳しくなってしまうでしょうね。

消費者と企業のよいバランスが理想

この手の問題は、結局はバランスの問題な気はします。今はある意味「消費者最強」なので、企業は完璧なものを作らないといけなく、マスコミは完璧な情報を提供しなければいけません。ただ、本来は消費者側でも、自らで物事を考え、取捨選択して判断しながら行動すべきなんですよね。2chひろゆきの「嘘を嘘だと見抜けない人には難しい」という有名な文句がありますが、自分もそれは感じるところがあります。やはり、ただ鵜呑みにするのではなく、いったん自分でも考えることが重要だと思います。

企業やマスコミが完璧な製品を目指すことは、当然重要です。ただ、分野的にはそれが困難なところもあるでしょうし、それを求める余り冒険的な製品が出なかったり、お堅いがちがちな製品・情報ばかりになってしまう可能性もあります。それでは、消費者側も正直つまらないのではないでしょうか。特に、娯楽関連では。

消費者側もただ全て受動的に受け止めてその内容の責任は発信者任せにするのでなく、最終的な自分自身に対しての責任は自分が取る、という意気込みで情報の選別・判断ができれば、世の中がもっとスムーズに回っていくと思うんですよね。

現在でも、すでにネットで多数の情報ソースを見て総合的に判断し、ちゃんと情報の取捨選択しながら生活されている方もいるとは思いますが、そこまで情報に強い人は多くないかと思います。情報化社会の中、いかに消費者の情報リテラシーを高めていくか、社会レベルで重要になってきているのではないでしょうか。提供する側と受ける側、双方が努力して、Win-Winの関係になっていければいいな、と思います。