他の成功事例をこじつけた和田氏の「ゲーム産業再活性化論」

スクエニ社長、CESA会長として様々なメディアに対してコメントをする機会の多い和田社長。異業種から来た人だけに、豊富な経営知識はあるのですが、いまいちゲーム業界とのからみが見えにくく、抽象的なイメージのコメントが多い人です。また、顧客軽視というか、金を出す存在と見下した印象を受ける発言をすることも多く、反感を買うことも少なくありません。

そんな和田氏が、先日 「PSPがバーチャルPS3になる」というSCE川西氏のインタビューが載った日経関連のサイトでまたインタビューに答えてます。

スペシャルインタビュー スクエニ社長・和田洋一氏の「ゲーム産業再活性化論」〈前編〉

タイトルが「ノーベル賞作家がゲームを作ったなら…」と、いきなりうさんくささ爆発ですね。内容も、相変わらず微妙な内容となっています。以下順に内容を追ってみます。

○「制約の中での表現」に対する無理解

まず、最初のたとえ話から、かなり引っかかるモノがありました。

 例えば絵の話で言うと,記号的な表現だったのがだんだん実体に近いものになってる。今回,「ニンテンドーDS」(NDS)用の「ファイナルファンタジー III」(FF3,*2)を出しましたが,昔,ファミコン用に発売していたときも,このイメージ(NDS用FF3のイメージ)がクリエータの頭の中にはあったんですよ(写真)。

 すぎやまこういちさん(*3)はもう何年もドラクエ・コンサート(*4)を開いていますが,「よく譜面にできましたね」と言われると「ゲームの中ではビープ音(*5)だけど,僕の中では最初からオーケストラが鳴っていた」とおっしゃるそうです。だから「ドラゴンクエスト5」のリメーク版ではフル・オーケストラの音楽を入れました。

 映像にしても音楽にしてもシナリオにしても,ゲームが登場したときにやりたかったこと,頭の中でイメージしていたものが,今はそのまま表現できるようになった。これまでは「ゲームで表現する」ということにいろいろな制約があって,その範囲の中で作ってきたのですが,今はほぼ制約がない状態。「では次に何をやるのか」が重要なのです。

まずおかしいのが、FF3DSでファミコン版FF3のグラフィックがきれいになっていること、ドラクエ5がリメイクではオーケストラになっていることを、「制限されていたモノが取り払われ、本来の理想的な形となった」というたとえで使っていると言うことです。

これは、正直例え方が間違っています。和田氏の言い方だと、まるでファミコン時代は制限事項が多く、クリエーターが実力を発揮しきることができなかった、というような論調なんですよね。でも、そうじゃないだろと。

FF3DSも、ドラクエ5リメークも、どちらもオリジナルとしてのFC版、SFC版があっての話。むしろ、FF3DSなんかは、3D化はしながらも、ファミコンスーファミのドットの良さを出すために苦労したと、インタビューでも開発者がコメントしているぐらいです。だから、和田氏が言う「DS版のイメージがクリエータの頭の中にあった」というのは変な話で、順番が逆になっているわけです。

すぎやま氏の件だってそうです、ファミコンの限られた音数に併せて最大限の努力を行い、あの曲ができあがったわけです。もっとスペックが上なら、それに合わせた曲を作るだけで、決してファミコン時代のすぎやま氏の曲が、実力を発揮できていなかったわけではありません。「頭の中ではオーケストラが鳴っている」というのは、あくまですぎやま氏のイメージのふくらませ方であって、和田氏が「制約を取り払うことは重要」という例えに使うには、ベクトルがずれた例だと思います。

和田氏の言い方は、どちらかというと、昔久夛良木氏がファミコン時代のゲームミュージックをバカにした発言をしていたのと、非常にイメージがだぶるんですよね。この久夛良木氏の発言とすぎやま氏の比較は、TERRAZINEさんのところで詳しく紹介されています。

TERRAZINE - SCEI久夛良木とドラクエすぎやまこういちの違い

つまり、久夛良木氏や和田氏の発言は、「昔は制約多くて、実力発揮できず大変だったでしょう?」という、創造性とはなんたるかをまるで分かっていない発言な訳です。限られたスペックの中で、最大限の工夫を凝らし、最高のパフォーマンスを見せる。FF3だってドラクエだって、オリジナルではそうした工夫があり、それが大勢の人に評価されてきたわけです。それを、スペック至上主義で、リメイク版ではじめて本来の理想の姿になったように言われるのは、当時のクリエータからしてみれば、当時の苦労を全部否定しているような印象を受けるのではないでしょうか?

和田氏はこのたとえ話で、「表現の制約がなくなったから、次に何をやるのかが重要」ということに説得力を持たせたかったのかもしれませんが、正直全くのまとはずれなたとえでしたね。そもそも、制約がなくなった、という表現自体、携帯電話という制約の多いプラットホームにゲームを提供している会社の社長が発する言葉とは思えません。前にファミ通のインタビューで「FFXIを携帯電話でもやれるようにしたい」と言って、開発陣から猛反発食らうわけですよ。これだけPCなどが高性能になった状態でも、開発者は日々マシンスペックの制限を気にし、その中で最大限の速度、高性能で動くものを目指して日々頑張っている訳です。そんな状態なのにこんな発言をされては、社員の人は本当、報われませんよね。

○異なる血との交わりは重要

その後2ページ目の、異業種の交流とかの話は、それなりに聞くべき要素はあると思います。新卒採用が重要というのは、まあ分からないでもありません。とくにゲーム会社はアニメ同様、「ゲームが好きだから就職」という人が多い分、開発者の作りたいモノを作ってしまうと中二病ゲームが増えやすい、という印象はあります。実際、そういったゲームをやってきた人が就職しているでしょうし、開発陣を率いる人もそうしたゲームをヒットさせてきた成功体験があるので。そう言う意味では、一般企業がやっているような、専門知識をもたずとも一定の能力、潜在能力を秘めた人間を採用していく、というのはありな話でしょう。もちろん、採用した側が人材育成する期間が余計に必要になりますし、結果的に使えない人間である可能性もありますが、ゲーム好きだけ採用、というのがひずんでいるのは確かだと思いますので。
とはいえ、この手のビジョンとしてはおもしろくても、和田社長の取る施策自体にはなかなか結果は出ていない印象ですけどね。それなのに、「ニンテンドーDSiPodは昔は想像しなかったモノが成功している」として、自分がやっていることも間違っていないという説得力を持たせようとしている。他の明らかに成功している事例を引っ張ってきて、自分の考えを正当化しようとする、世の中の経営者がよくやる手ですが、正直かっこいいモノではありませんよね。前に久夛良木氏も「Appleなら…」とか「ジョブスと同じで…」みたいな発言をしていましたが(参考)。他の成功事例を抽象的に結びつけるのではなく、うまくいっていること・いかないことを、理論的にその理由を説明しましょうよ、という印象をうけます。

任天堂の成功事例を得意気に紹介

3ページなんか、そうした我田引水的な発言が炸裂してますね。

ニンテンドーDSの成功がその先行事例となってくれたので非常にありがたいと思っています。最近はヒット作に乏しく,「50万本も売れたらすごいですね,20万本で合格点ですね」と言われていたのが,ニンテンドーDSで突然300万本,400万本のタイトルが出てきましたよね。ただ,それが今までのゲームかというと,クリエータ的にはこれをゲームと呼ぶのだろうかと。だけどやっぱりゲームですよ。

 今までのゲームの定義は,こういう文法でこういう絵の感じでこれくらいの時間がかかってと,そういうものだったのが,ゲームは「インタラクティブな表現メディア」と言えるくらいに定義が広がったんですよ。それが第2ステージ。だとすると,「えいご漬け」(*8)もOK,「脳トレ」(*9)もOK,ワンちゃん飼う(*10)のもOKなんです。

えーと、和田社長があげている例って、主に任天堂の実績ですよね?上記の変化が起こっているとき、あなたの会社は何をやっていました?続編RPGの連発や、過去のタイトルの名前だけ借りたゲームとか売っていませんでした?そのあなたが、上記の例を得意気に話すわけですか。あたかも、「俺は分かっていた」という口調で。はあ、そうですかとあきれるほかありませんね。


そもそも、「50万本も売れたらすごいですね,20万本で合格点ですね」と言う言葉自体、あなた方経営者が作り出した言葉なんじゃないですかね?そうやって、売り上げが落ちてくるのが必然だからこそ、オンラインゲームや携帯ゲームと言った、別のところに逃げだそうとしていたわけで。そんな中、縮小すると思っていたパッケージソフト分野で、任天堂にミリオンとか連発されてしまい、自分たちの経営思想の根底がくずされてしまって、焦っているようにも感じます。これまでは、みんな売り上げに苦しんでいたので、売れなくても「次は別のプラットホームを目指す」と言う発言で資金を集められたのでしょうが、こうしてミリオン連発をされると、自社のソフトが売れなかったら、「それは単にあんたの会社の実力不足なんじゃないの?他に売れているところあるんだし」と切り返されてしまうわけですから。
和田氏が、DSの成功事例を肯定する発言をするのも、経営者として無理がないのかもしれません。ただ、こういった調子のいい発言を見ると、ますますファミ通浜村氏とイメージがだぶってくるんですよね。

○「技術革新≠イノベーション」として語れるか?

ただ、そこまでDSのような異業種、他ジャンルの成功、重要性を持ち上げておきながら、最後の段落では、「技術に立脚したイノベーションが必要」と話を変えてしまっています。このインタビューの後編のタイトルが「PS3はサーバーなんです」と書いてあるので、おそらくそれに対する布石なんでしょうねぇ。ここから、いつものごとく高スペック重視路線の賛辞が繰り返されそうな予感がありありとしてしまいます。
「技術に立脚したイノベーションが必要」というのは、実際正しいとは思います。狭い、使い古された技術の中だけでの勝負では、会社ごとの技術力で差をつけることができず、差別化が非常に難しい厳しい市場になってしまいますので。ただ、勘違いしがちなのが、「技術が進歩すればイノベーションが起こるとも限らない」ということ。スペックだけあげれば、革新が起こるというわけでもありません。実際、PS2でもグラフィックはきれいになりましたが、PS1と比べてそれほど革新的なことが起きている印象はあまりしませんしね。Wiiリモコンも同様で、単に技術革新したからといって、ゲームが革新するとは限りません。実際に、どうすればゲーム革新を起こせるのかも示せて、はじめてイノベーションを語れるのだと思います。
後編掲載時、「性能が上がるから、ゲームにも革新が起こる」といった、安直で抽象的で薄っぺらな理屈がCESA会長の言葉から語られることがないことを祈ります。