「ゲーム人口を反転させた継承者」岩田聡インタビュー in 東洋経済

DSの好調な売れ行き、E3以降のWiiへの注目と好調さが目立つ任天堂。株価も2万円を突破するなど、国内外から評価が高まっています。
そんな任天堂岩田聡社長に対するインタビューが、週刊東洋経済(7/15号)に掲載されているようです。

インタビュー:Key Person
岩田 聡/任天堂社長
カリスマが指名した40代は王国の中心で危機を叫ぶ

週刊東洋経済−東洋経済新報社

この東洋経済のインタビュー記事の内容が、2ch任天堂スレに転載されており、それが下記のPS3コケスレWikiにまとめられています。

週刊東洋経済(7/15号) - 『俺らねPLAYS(TAT)ION3はコケると思うよ』 まとめWiki

インタビューの内容としては、経済雑誌だけに、主に山内溥前社長から岩田社長への引き継ぎやそのポリシーと言ったものが中心となっています。個々の内容については他の記事などで知っていることも多かったですが、細々としたところで面白いところがありますね。特に、山内氏から岩田氏への継承に着目してコメントしてみたいと思います。


まず、冒頭の岩田社長就任時について。

マスコミの関心は、32歳の年齢差に向かった。6人が代表取締役となる異例の集団指導体制。
岩田は最年少、しかも2年前に中途入社した"外様"だ。ほとんどの記者が岩田をノーマークだった。
「ゲームは集団指導体制は駄目だよ」「山内のカリスマあっての会社。これで任天堂も鈍くなる」。
後継者と新体制に、業界人やアナリストは辛辣な言葉を投げかけ、それがマスコミの紙面に躍った。

こういったのを見ると、当時の風当たりの強さや、いかにマスコミや業界人がその場の流れで物事を言っているか分かりますね。まあ、それでも当時岩田社長がここまで才覚を現すとはほとんど予測できなかったとは思いますが。ここでも書かれている、以下の言葉につきます。

しかし、それから4年、証明されたのは山内の見事な"目利き"ぶりである。

山内氏自身、22歳の若さで大学を中退し、社長になった経緯があります。年齢に対しての抵抗感は比較的少なかったのでしょう。また、自身が会社を継ぐ際に、親族を会社から追い出したという経緯もあります。娘婿であり、Nintendo of Americaの社長でもあった荒川實氏を蹴ってまで岩田氏を社長に選んだのは、まさに山内社長しか出来なかったことでしょう。
さらに、単に若手を起用するだけでなく、取締役6人という体制だったのは、これを読んで気がつきました。ゲーム開発のトップ宮本茂氏、ハード開発トップの竹田氏などと連携してやってきたからこそ、外様で若手の岩田社長が実力を出すことが出来たのでしょう。このあたりの山内氏の判断も、いい方へ転んでいる感じですね。


ちなみに、このあたりの過去の任天堂の歩みや歴史は以下のページをごらんになると面白いです。相当な文章量ですが、任天堂の盛衰とその背景にあったものが読み取れて読み応えがあります。
Philosophy of Nintendo

上記を読んでいると、節々で山内氏の独特な判断力、そしてカリスマが感じられることができます。また、同時に強烈すぎる分、横暴に感じる部分も見て取れますね。現在の任天堂の好調と、過去の成功・失敗を見比べてみると面白いでしょう。

また、下記のページでも、任天堂についていろいろな裏話的内容を知ることができます。自分も任天堂びいきになったのはDS以降で、それまではアンチ任天堂気味だっただけに、結構興味深い内容でした。

任天堂雑学
任天堂を名言で振り返る - カミトバ星 - NINTENDO UNOFFICIAL FAN PAGE
山内溥 - Wikipedia
任天堂 - Wikipedia


閑話休題。今回のインタビューの記事を見ても、山内氏の独特の行動が見られて面白いですよね。社長決定の時のやりとりも独特です。

禅問答みたいな話を山内がするわけです。「なりたくてなれるわけじゃないけど、逃げることはできる」とか。
ただ、山内の任天堂に対する思いとゲーム業界への危機感は痛いほど伝わった。
もし本当にそういう場面が来たら逃げない覚悟だけはしよう、なんて思ったりもして(笑)。
ただ、本当に聞かされたのは発表直前。やっぱり、びっくりしました。

こんなやりとり、自分だったら耐えきれないような(苦笑)。外様である岩田氏に、直接言うのでもなく暗に社長を譲るのを示す山内氏。そしてそれを肌で感じ取り、覚悟を固める岩田氏。ぜひともプロジェクトXあたりで再現ビデオを作って頂きたいくらいですw。


また、以下の社訓についての話も興味深いです。

ただ、環境が変わればやり方も変わる。山内は社訓も社是も残さなかった。
その理由を、私はこう解釈している。社訓や社是を言葉にすれば必ず時代とともに古くなって合わなくなる。
大事なのは根っこの部分であって、環境が変われば最適解は変わるからだ。
山内が若かったらどう考えるだろうか、って私は考えます。
だからものすごく継承してるんだと思うんです、多分。

山内氏自身が任天堂を去る際に退職金を辞退したり、京大病院への寄付や時雨殿建設などは有名な話ですが、社訓も残していないんですね。ほぼ自分一人でなりあげた任天堂に対して、未練を残さず、弊害になる可能性があるものはあえて残していかない、というのは、普通の人間じゃできないことでしょう。


しかし、山内社長が残した精神は、社訓という形で残っていなくても、しっかりと引き継がれているようです。

でも、みんな山内とずっと一緒にやってきた。「今のままじゃ駄目だ」という危機感はすでに共有していた。
「山内時代と岩田時代」とおっしやいますが、私は変えているつもりはない。大事なことは変わらない。
娯楽産業では、同じことをやっているとお客さんは必ず飽きる。次から次へと新しいものを提案しないと会社は栄えない。
成功体験に埋没すれば簡単に会社はおかしくなる。人と違うことをやるから価値がある。
そういう基本的な考え方は山内時代と全部共通です。

また、現状に対して分析し、決して浮かれていない姿勢も、山内氏と同様のものです。

―――計画どおりだと。
狙ってできるもんじゃない。ある程度は努力や先見性、発想ででできるが、今のDSはそれを超えている。
この状況を狙って作りましたなんて言ってるようでは、われわれの先は知れていますよ。
社員に錯覚させないようにするのも私の仕事です。
――慢心の警戒?
予測できなかった幸運がたくさんある。たとえば私は脳トレを出そうよと言い始めた張本人。
ソフト2本で500万本超えちゃった。でも、ここまで当たるとは思わなかった。
山内の口癖がありましてね、初代ファミコンが大ヒットした当時から言っていたらしい。
[自分たちの力と幸運を冷静に分けて考えろ。幸運に恵まれたことを絶対に忘れるな」って。

ファミコンで成功し、64、ゲームキューブと苦渋をなめた任天堂。苦しい時期に山内氏から岩田氏に受け継がれ、苦戦を続けながらも巧妙を見いだしつつある現状。果たして、次の闘いではどうなるのか。各陣営総力を決した闘いとなるため相当厳しい闘いになるかと思いますが、興味深く見守っていきたいと思います。