燃えよ剣

新選組!は先々週で終わってしまったわけですが、それ以降、ネタばれ禁止のため読んでいなかった本などをいろいろ読んでいます。その中で、池田屋事件あたりで読むのをやめていた「燃えよ剣」を、ようやく最後まで読み終わりました。
全体の感想としては、かなりおもしろかったです。特に、後半の土方歳三の単独行動のあたりがおもしろかった。逆に言えば、新選組の部分はちょっといまいちだったわけです。というのも、やはり新選組!の中の人物像と、燃えよ剣の中の人物像がかなり違っていたからだ。特に違うのは近藤勇。「燃えよ剣」自体が、それまで近藤勇しか注目されていなかった新選組を、土方中心として見直す、という位置づけで書かれたものだから仕方ないところはあるのだが、いかんせん近藤が情けなさすぎる。おだてられやすく、調子に乗り、下手におしゃべりで、逆境に弱い。途中、英雄英雄とフォローはしているけど、最後の流山の投降も単にあきらめたから投降、と言う感じで、正直近藤勇に魅力を感じなかった。正直、「新選組!」の近藤勇の方が、何十倍も魅力的に感じた。あと、藤堂平助が、あからさまに近藤勇暗殺を企てていたりしたのもすごい違和感を感じた。
こうした感想は、従来からの新選組ファンには、「そりゃ、『新選組!』の方がめちゃくちゃなんだよ」という風に思われるかも知れない。だが、はたしてそうだろうか?現代に伝わっている新選組の史実など、非常に限られたものだ。特に、物語の多くは子母澤寛の文章や、永倉新八島田魁が老後に残した文章によるもの。そうした文章は、非常に限られた人物の、しかも古い記録に基づいたものであるわけで、そこに書かれていることがすべて真実であるとは言い難い。子母澤寛の文章なども多分に創作が混じっているという話も聞く。そういった状況なのだから、新選組にいた各人物の性格や行動などは、どうしても小説家や脚本家の想像に頼るところとなるわけだ。だから、従来の新選組ファンが「違う」と言っているのは、単に「司馬遼太郎らの描いた新選組と違う」と言うことであって、必ずしも「史実と違う」という事ではないと思う。
新選組!」に出てきた各登場人物は、本当にどれも魅力的だった。そもそも、自分が新選組!にのめり込んでいったのは、芹沢鴨の魅力があったから。桂小五郎に言い負かされたときの鴨があまりにリアルで、そのあとの新見錦の暗殺から鴨暗殺まで、ぐいぐいと引き込まれていった。武田観柳斎伊東甲子太郎といった、敵役という位置づけであったキャラも、非常に魅力的だった。そうした、登場人物に対する事細かな愛情が、新選組!の大きな魅力だったように思う。
燃えよ剣」では、どうも土方歳三ばかりが魅力的で、あとのキャラが引き立て役に成り下がっているように思う。沖田総司や市川鉄之助などは、土方の弟分という感じで重視されていたが、あとはどうも。読んでいて、いかに「新選組!」の描かれ方がステレオタイプでは無かったことが痛感させられた。
一方で、流山以降の話は、初めて知る内容ばかりであり、なおかつ土方の魅力が存分に発揮される分、非常におもしろかった。新しい兵法をどんどん吸収し、官軍を蹴散らしていく様は圧巻だ。「新選組!」にないエピソードだけに、人物の違和感もないし。他のブログでいろいろな人が「山本耕史の土方で、五稜郭まで見たい」と言っていたが、たしかに同感。この内容だったら、見てみたいと思う。
とりあえず、燃えよ剣は読み終わったが、まだ世の中にはいろいろ新選組の本が残っている。今後ぼちぼち古本屋などで探して読んでいきたいと思う。